大阪のライター オフィス「おふぃす・ともとも」代表ブログ

大阪在住のライター高野朋美(おふぃす・ともとも代表)です。最新の実績、仕事への思いなどもご紹介。

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ローレルスタイル「デザイン家電」のコピーを担当しました。

ローレルスタイル「デザイン家電」


コピーライティングを担当させていただいている、近鉄不動産「ローレルスタイル」

今回のテーマは「デザイン家電」
こんなのがお部屋にあると、暮らしが楽しくなるだろうな、というアイテムが盛りだくさんです。
個人的に、快眠家電がほしいな、と思っています。

デザイン家電、パート2もあるので、お楽しみに。

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ビジョンを持て

長らく、私は「ビジョン(目的)」というものが何なのかわかりませんでした。
将来の展望、なりたい自分、ほしいもの・コト、ゴールetc。
こんなふうに、ビジョンはいろいろな言葉に置き換えることができるからです。

いったい、どれが本当のビジョンなのだろう。
年収をアップするというのもビジョンなら、世の中の人を笑顔にするのもビジョン。
でも、両方ともしっくりこない。腑に落ちない。
年収アップって、とても具体的だけど、果たしてビジョンの一つととらえていいのか。
世の中の人を笑顔にするって、確かに大きなビジョンだけど、なんとなく漠然としていて具体性に欠けている気がする。
もっと「ビジョンっていうのはこういうことです!」とズバリ言い切ることはできないのだろうか…。
最近まで、そんなふうに思っていました。

いまでも、ズバリこれ!と言い切る自信はないのですが、「ビジョンとは、こういうものではないか」と思い当たっていることはあります。

世の中を幸せにするために、自分が貢献できること。

これがビジョンなのではないかと、いまは思っています。。

さて、では私のビジョンとは何か。
ライターという仕事の価値を上げることで、世の中を幸せにすること。
これです。
「思いのこもった文章で、世の中をうれしくする」という、おふぃす・ともともの企業理念とも通じます。

文章は誰にでも書けます。
でも、書いたものが伝わりやすいか、わかりやすいか、面白いかという観点で見ると、かなりクオリティに差があります。
私たちライターは、高いクオリティのものを生み出すプロのはず。
ところが、ライターには資格も何もいらないためか、プロだと言っている人たちの間に、大きなクオリティ差があります。
それによって、書く仕事をライターに頼みたい人たちが苦慮している現実があります。仕事を頼んだはいいが、自分たちが書いたほうがましだと思える原稿しか上がってこなかった、というケースです。

私は、ライターはもっとプロの技量を磨かなければならないし、それによって、自分たちの仕事の価値を上げなければならない、と思っています。
そうでなければ、書くことで世の中をうれしくできないからです。

伝えたいことがある人の「思い」をくみ取り、わかりやすく、読みやすく、面白く伝えることで、読み手に「へえ〜」「なるほど」「そうだったんだ!」という知的感動をもたらす。
これができる人が、私の考えるプロのライターです。

こうしたプロが増えることで、私はもっと世の中のコミュニケーションがスムーズになると思っています。
人の世は、誤解だらけ、自分の思いが相手に伝わっていないことだらけです。
でも、それは無理もないことです。
だって、自分と人とは違うのですから。違うからこそ、相手に分かるように「思い」を伝える必要があると思っています。

そのお手伝いをするのが、わたしたち。
それを成し遂げるために、「文章」を使いこなす技量を持ち、活用しているのが、ライターだと思っています。

会社を大きくすることが私のビジョンではありません。
たくさん儲けるのも、年収アップもビジョンではない。
ビジョンに近づくための「手段」にはなりえますが、「目的」にはならない。
これが、ビジョンと手段の違いだと思います。

自分や自分の家族、親しい人だけが得することではなく、アカの他人や社会も含め、世の中が得をすることを考える。
たぶん、これがビジョンに必要な視点です。
その対価として自分たちも潤うというのが、会社の正しいあり方かな、と思っています。

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プラスの言葉、マイナスの言葉

初対面の方にお会いするたび、人は大きく二つのタイプに分かれる、と思います。
ひとつは、相手に対してプラスの言葉を使う方、もうひとつは、マイナスの言葉を使う方です。

例えば、静かな田舎町を一緒に歩いているとき。
前者のタイプに属する方は「静かで落ち着きますよね。こういう雰囲気もいいですね」と言います。
一方、後者のタイプに属する方は、「さびれてますね。こんなんじゃ人が寄り付かないですよね」と言います。

言っていることは、どちらも正解です。
でも、一緒にいる相手に与える印象はどうでしょうか。
しかも相手は初対面。
会っていきなりマイナスな言葉を言う人、プラスの言葉を言う人、どちらに好印象を持つでしょうか。

私もときどき、ふとマイナスの言葉を使ってしまうことがあります。
気心の知れた相手ならいいのですが、初対面の方の場合は、私のことを十分にご存知ありません。
私の発する言葉で、私の人柄を判断するしかない。
そう思うと、使う言葉には気を遣わなければ、と思います。

自分の評価を上げるのも下げるのも、お相手をいい気分にさせるのもいやな気分にさせるのも、自分次第。
言葉一つで、人間関係は変わるのだと思います。

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ダメなヤツの定義

いまでも、ときどき思い出します。
大学を卒業し、新人として入った新聞社を、子どもができてわずか一年足らずで結婚退社せざるを得なくなったときのことを。

そのとき、私は上司にすごく怒られました。
お前は、あとに続く後輩たちのことを考えたことがあるのか。
会社は、たった一年で辞めた学生のいる大学から、また人材を採用しようとは思わない。
お前の行動は、新聞社に入りたいと願う後輩たちの道を閉ざすことになるんだぞと。

正直、あのときの私は、この言葉の意味を少しも分かっていませんでした。
そんなことより、自分の中に宿った命と、これからの生活を考えることで、いっぱいいっぱいだったのです。

後輩のことを考えろというけど、そんな余裕、わたしにはないです、だって、それどころじゃないくらい、私大変なんです、それをなぜ分かってくださらないのですかと、上司に反感めいた気持ちすら抱いていました。

20数年経ったいま、上司のあの言葉を、私はしみじみと思い返します。
そして、心から申し訳なかったと、悔恨の情にかられます。

自分勝手な人が増えたと、世間では言います。
それを聞いて、おそらく10人中8,9人が、「そうだよね〜。ほんと、嘆かわしい時代だよね〜」と言うでしょう。
そして、自分のまわりにいる身勝手な人のことをあげつらうでしょう。

それが危険なのです。
自分勝手な社会を作っているのは、自分以外の他人ではない。
自分だということに気付くべきです。
だって、そういう人が大多数を占めるから、社会がそうなるのですから。
自分が多数派に入っていないと胸を張って言える人が、どれだけいるでしょうか。

私は、仕事のできない人、ミスや失敗をする人を「ダメなヤツ」だとは思っていません。
では、ダメなヤツとはどんな人か。
自分のことを棚に上げ、他人を非難することで自分を安全地帯に置こうとする人、自分勝手な自分に気づかない人、気づこうとしない人です。
上司に怒られてもなお、自分のことしか考えなかった私のように。

ごみが落ちているのに拾わない、電車で席を譲ろうともしない、しんどそうな人が駅でしゃがんでいても声をかけない。
このどれにも当てはまらない人のほうが、むしろ珍しい。
こんな些細な行動も起こせないのに、思いやりがあるふりをして生きている。
それが自分なのだと気づくところから、まずスタートではないでしょうか。

気づけば、直さなきゃ、と思います。
勇気を出して席を譲ろうと思います。
相手のこと、まわりのことに思いをはせようと思う。
そうやって、ダメな自分から脱皮していくのでしょう。
でも、そもそもそうなるためには、気づかないと始まらないのです。

いい子になろうとして、他人の足りていないところにばかり目をやり、評論家気分で批判し、自分は何もしない。気づこうとしない。指示待ちを決め込んで自分から行動しようとしない。
これが私の思うダメなヤツです。
昔の私そのものです。

そんなことを考えるたびに、あの上司の言葉が、口に苦い尊い教えのように、私の心に染みてくるのです。

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