大阪のライター オフィス「おふぃす・ともとも」代表ブログ

大阪在住のライター高野朋美(おふぃす・ともとも代表)です。最新の実績、仕事への思いなどもご紹介。

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書けなくなるとき

たまに「書けなくなること」があります。
スランプに陥る、といえばカッコいいのかもしれませんが、わたしは「プロにスランプはない」と思っています。
というより、スランプなんでおこがましい。
お金をいただいている以上、そんな「余裕」は許されないし、クライアントからご依頼いただいて取材・執筆するライター業は、そこまで芸術的な仕事ではない、と思っています。

書けないとき、私はどういう状態になるか。
一言一句を気にするあまり、文章が出てこなくなるのです。
こういうことを書きたいという感覚はあるのに、それを60%も表現できない。
なんか違う、なんか違う、と思いながら、時が過ぎていきます。

その原因がどこにあるか、分析しながら七転八倒しているのですが、なかなか分からない。
でも、ちょっとだけ見えてきたことがあります。
文章を型にはめようとし過ぎているとき、「書けなくなる」という現象が生まれてきます。

私は日ごろ「ライターが書くものにセンスは必要ない。必要なのはロジックだ」と言っているし、パートナーライターの原稿をチェックするときも、ロジックに当てはめて校正しています。
だから自分が書くときも、ロジックという型を意識します。
でも、それが過剰になったとき、文章を俯瞰してみることができなくなるようです。
重箱の隅をつついてしまうというか。
もっと自分の表現力を自由にしてあげるべきなんだろうか、と自問自答しています。

もう一つ、インタビューで語られたことの「順番」にこだわりすぎるときも、書けなくなります。
インタビュー原稿は、取材の流れ通りに書く必要はありません。
読み手にその人の思いや考え方が伝わることが最も重要なので、取材で最後に出てきたことを、最初に書いてもいいんです。
ところが、どういうわけだか、取材の順番通りに書かなきゃ、という縛りを知らず知らずのうちに設けてしまっている。なぜそうなるのか、いま分析中です。

書けないときは、お通じがないときみたいな、心地悪く、目詰まりを起こしている感じがつきまといます。
でも「待てよ。こことここの順番を思い切って変えればいいんじゃないか」と思って試した結果、伝えたいことがすっきりまとまったとき、自分は天才ではないかと思います。
これこそおこがましいですね(笑)。

書けないときは苦しいのですが、そんなふうに、書けない、書けるのメリハリを繰り返しているからこそ、書いている瞬間瞬間が面白いし、やめられないのだと思います。

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