大阪のライター オフィス「おふぃす・ともとも」代表ブログ

大阪在住のライター高野朋美(おふぃす・ともとも代表)です。最新の実績、仕事への思いなどもご紹介。

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後悔しない生き方

5年前、母を亡くしました。
拡張型心筋症という難病にかかり、そこから10数年生きましたが、最期は肺炎をこじらせ、息を引き取りました。

私は他人から見れば大変な親不孝娘で、母親の看病に帰ることはほとんどしませんでした。実家である島根は大阪から遠く、仕事を持つ私にとって、看病に戻る時間も余裕もありませんでした。

親戚の中には、きっといまでも「あの子は親不孝だ」と思っている人がいると思います。
でも私は、母のことについては、何の後悔もしていません。
私がやってあげられることは、100%ではないにしても、80%くらいはやってあげられたのではないかな、と思っているからです。

母は勝ち気で、自分の弱みを人に見せたくない人でした。それは娘の私に対してもそうでした。
だから、頻繁にお見舞いに来いとは言いませんでした。でも、心の中では、私や弟に会いたがっていることは分かっていました。
だからと言って、仕事をやめてまで実家にもどり、母の世話をすることがいいことなのかどうか。
考えた結果、それはいいこととは言い切れないし、何より、私があとで後悔すると思ったのです。

仕事をやめて看病にもどれば、私は親戚中から「良い子」のシールを貼ってもらえます。さすが長女だと、絶賛されたと思います。
でも、それが私の人生にとってどうだというのでしょう。
私は親戚に良い子シールをもらうために生きているのではない。
なにより、「仕事をしたい」という感情を押し殺し、母のために看病に戻ったとして、母は喜ぶのだろうかと。
笑顔もなく、苦しそうに看病をする私を見て、母は幸せなのだろうかと。
「母はきっと喜ばない」。そう思いました。

私も子を持つ母ですから、もしも自分が病気になり、わが子が身を犠牲にして看病する様子を目の当たりにしたら、すごく辛いと思ったのです。「私の看病なんてしなくていいから、自分の好きなことをやれ」。むしろそう言うでしょう。

母が私と同じ考えかどうかは分かりませんが、おなかの中にいた時期を含め、長年母といっしょにいた経験から、私の幸せや成功こそが、母の幸せだと結論づけました。
だから、看病のために帰郷はしませんでした。

その代わりに、私が幸せであることを、母には伝えようと思いました。仕事がすごく面白いこと、好きなことをやらせてもらって幸せであること、皆さんのおかげで本を出せたこと。たまに実家に戻ったときは、そんなことを母に話しました。
母は、とてもうれしそうに聞いていたのではないかな、と思います。

亡くなる2週間前、母の日のプレゼントを受け取ったお礼の電話が、母からかかってきました。
強気な母がめずらしく、「私、もうダメかもしれん」と電話口で弱音を吐きました。
私は「そんなこと言わんと、がんばりや。良くなったら旅行につれていってあげるから。どこに行きたい?考えといてね」と言いました。それを聞いた母は、とても安心した声で、「旅行につれていってくれるんだ。そうか。楽しみだわ」と答えました。
母とまともに会話したのは、それが最後となりました。

ほかの人にはどう映るか分かりませんが、私は「良くなったら旅行に連れていってあげるよ」と言えたことが、母への最大の親孝行だったと思っています。
母は病気になって以来、私の家族(夫や子ども)、弟の家族(弟の妻や子ども)をまじえて、温泉地に旅行に行くのが夢だと言い続けていました。
でも、旅行地への移動は心臓に負担がかかることもあり、とうとう実現はできませんでした。
だから、私の口から「旅行につれていってあげるよ」と聞けて、すごく安心したのではないかなと思っています。旅行には行けなかったけど、心は旅行に行った気分になったのではないかと。
たぶん、母と私にしか分からないものが、あの会話の中に流れていたと思います。

大事なものは何かを突き詰めて考えていくと、だんだんと他人の目が気にならなくなります。
自分らしく生きるとは何か。幸せに生きるとはどういうことか。
それを決めるのは他人ではなく、自分だということに気づくからです。

母は天国で「正直、もうちょっと看病に帰ってきてほしかったけど、まあええわ。あんたが幸せなら」と思ってくれているでしょう。
そして、私のとった行動を許してくれているでしょう。
だって、親子なのですから。私を生んでくれた母なのですから。
私がそう思いたいだけなのかもしれませんが、それも含めて、後悔はしていない。
それが私から母への、生んでくれたことへの感謝でもあると思っています。

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